3章 「モナコの車」
エッフェル塔と冬のシャンゼリゼ通りに悠然と建つ凱旋門に感動した翌日は、映画007〜カジノ・ロワイヤル〜の舞台にも使われたカジノ・ド・モンテカルロがあるモナコへどうしても1回きりの人生なら行ってみたいと思っていたので飛行機の予約をさせて頂いていました。
そのフライトの前に5時間くらいある事に目が覚めて気付きましたので、それなら折角パリにいるのだしエルメスの本店に行ってみようと思いました。
ルーブル美術館やセーヌ川に今、家事で大変な事になってしまったノートル・ダム大聖堂も時間的に見て回ると5時間では回りきれないしモナコからパリに戻ってからゆっくり見たいと思ったからです。
ポケットWi-Fiは容量を気にしながら使わせて頂いていたのでホテルのWi-Fiに携帯を繋げさせて頂き、さっそくスーさんに連絡をさせて頂くとちょうど朝食を食べていたらしく直ぐに来て下さるとのお返事に申し訳なく
「ご飯中にすみません、、ゆっくり食べて下さい。」
とお伝えさせて頂くと
「大丈夫ですよ。まだ飲み物しか頼んでいなかったので。」
の返答に、いやーそれ余計に申し訳ないんですけど、と思いながら電話越しに朝食を切り上げられているのを聞いて自分も慌てて出かける支度をしました。
ものの5分くらいで部屋をノックされたので瞬間移動でもしたのではないかと思いドアを開けるとサンドイッチを片手に持ったスーさんが立っていて朝食の邪魔をしてしまった事を再度謝ると向かう途中で違うサンドイッチを食べたからとそのサンドイッチを有難い事に自分に渡してくれました。
そのサンドイッチを昨夜スーパーマーケットで買わせて頂いたお水で飲み込みホテルの外へ出かけようとドアマンさんにエルメスの本店に行きたいんです。
と伝えさせて頂くと全く通じずそれさえ見越して通訳と言うか副音声ぎみにスーさんが被せて話して下さったのには少し笑ってしまいました。
タクシーを止めてくれたドアマンさんが二言三言を運転手さんに話したと思ったらタクシーはそのまま行ってしまいキョトンと見ていた自分に
「エルメスはすぐそこなんですよ。タクシーだと反対方向で距離も短過ぎるから歩いて行かれた方が良いですよ。」
みたいな事を優しく一生懸命に話していらっしゃる感じで人差し指と中指を交互に振るジェスチャーで歩いて行く事を確認すると今度は行き方を説明して下さり指をさして見える交差点の所までは視界に入るので解るのですがその後の何ブロック先を曲がりその後を曲がりと言われている感じが呪文のように聞こえてしまい
「えっとあの交差点ですよね?すみませんその後がちょっと分からなくて、、」
とスーさんにお願いしようと思ったら今、話された道順をすでにメモに書き終えたみたいでした。
出来る!!本当に仕事が出来る人だなと感心させられました。
スーさんから写真がNGでSNSに仕事という事もあり出さない約束が無ければその場を撮らせて頂き凄い通訳さんがいると宣伝したい気分になりながら20年以上前にご結婚をなされていらっしゃるスーさんのご家族は心強いですね等と会話をしてメモのとおりに歩いて行くと白い一際目立つ建物の屋上に馬具店から始まったエルメスのマークである馬の彫像が見えてきました。
まだオープン前だと言うのにどんどん人が集まりお店の前は何十人もの長蛇の列でビックリしました。
その列に加わろうとするとスタッフさんが大声で何かを話され列が2つに分かれたのでどちら並ぶのか迷っていると
「どうやら国内外からバイヤーさんがこの本店に沢山来ているみたいでバイヤーさんの列とそうでない人の列に分かれるみたいですね。」
と教えて下さり並ばせて頂いていた列が半分くらいの長さになりました。
あれだけの行列が並んでいたのに開店と同時にワッと我先に入る人は誰もいなく、1つ1つを吟味しながら殆どの人がお買い物を楽しんでいるように見えました。
大きな店内で特に何を買おうと決めていなかった自分は色々な国の人たちが商品を愛でてスタッフさんと笑顔で会話をなされているのを見る方が好きでぐるぐると回っているとバッチリとスーツを着た1人の男性のお客さんが女性物の明るい色の商品を買う所を見てこの人もバイヤーさんで買い付けて売る人なのかなー?
と勝手に思い込んでしまい目が合うと笑顔で話しかけて説明をして下さいました。
どうやらその人は出張でパリに来ているらしく奥さんにプレゼントで買いに来られたそうでした。
パリに仕事で行った旦那さんがエルメスの本店でお土産を買って来てくれるなんて素敵過ぎます!!
この素晴らしい紳士の心温まるエピソードにお礼を伝えて結婚が出来たら自分も同じ事をしようと思いました。
まだ時間はあるのにスーさんからの空港には早めに着いておいた方が良いとのアドバイスに従いモナコで過ごす数日分の荷物をホテルに戻ろうとタクシー乗り場で待っているとホテル名を告げた途端に悪いけど歩いて行ってもらえますか、、と何台も言われてしまい本当にタクシーに乗れず帰りも歩きになりました。
日本だと少しの距離でもすんなり乗せてもらえるタクシーの感覚とは違うのだなと思いました。
ホテルからは短い距離ではなかったのでタクシーで空港に向かわせて頂き少しの時間ですが飛行機に乗せて頂き到着したニースの空港からまたまた空港にいるタクシーでモナコまで役1時間、予約させて頂いているカジノ・ド・モンテカルロの隣に立つホテルに向かう途中で自分は1人で何回も叫んでしまいました。
TVで何回もF1のレースで見たことのあるあのモナコのコースはそのまま街をコースに使われているようでここがその場所なのだと驚いてこんなカーブに成っていたんだ等とF1と同じコースをタクシーで実際に通っている事に感動をしたのです。
バチカン市国の次の世界で2番目に小さな国がモナコ公国なのでレース会場が東京だったらその中のドンピシャの○○区を走って頂いているような感じで何度もうわーっと連発している日本人が後ろにいるタクシーの運転手さんを心配にさせてしまったかも知れません。
急角度のカーブの坂道を上るとぐるっと回れるロータリーのような場所に出てその正面が宮殿みたいな造りになっていました。
泊まるホテルがその宮殿のような建物の隣だったのでロータリーをタクシーがグルリと回って頂き真ん中にあるクリスマス用のパビリオン モンテカルロと書かれている青いオブジェの綺麗さにに目を奪われながらオテル・ド・パリと言うホテルに到着しました。
このホテルはネットや海外旅行の本を見ていたら、たまたま目に止まった場所で人生で1度で良いから行ってみたいと思っていたのです。
ドアマンさんが荷物係りのポーターさんを呼んで下さり中に入ると豪華な内装に一際目立つようにクリスマスツリーが置かれていました。
長身でダンディなヒゲをたくわえられているコンシェルジュさんが笑顔で握手と挨拶をして下さりチェックインをスムーズに進めて下さる中で何でも聞いて下さいね。
のような事を言ってくれましたので、その一言だけで言葉の通じない自分には凄く嬉しくなりました。
エレベーターで部屋まで上がりドアが開くとこの先に何度も他国で同じ香りに遭遇すると思っていなかった、なんとも言えない良い香りがしたのが印象的でした。
記憶は香りと覚えると思い出しやすいと自分は思っていてキツくもなく甘くもなく、とてもリラックス出来るこの香りがとても好きになりました。
女神様のような彫刻が付いている優美な扉を開けた先の室内は広くて清潔感がありトイレには便器の隣に綺麗なビデと呼ばれる小さなもう一つのトイレみたいのがありました。
使用する機会がいつなのか良く分からなくて最後まで使えずににいましたが、ビデの横にかけてあるタオルは下半身用が一般らしく知らなかった自分はシャワーを浴びて思いっきり顔をそのタオルで拭いてしまい後から知って自分で笑ってしまいました。
モナコに到着して少しホッとしたのかお腹は空いてグーグー言っているので何か食べたいと思いポケットWi-Fiに繋いだ携帯でスーさんに連絡をさせて頂きご飯をどうするか話し合うと先ほどのコンシェルジュさんに電話をかけて下さるとの事で電話越しに部屋から電話で話されているレストランの単語を耳にして、食べに行くならお米が食べたいです。
と話されている途中でお願いをしてしまいました。
フランスに来てから美味しいと言われるパンは沢山食べさせて頂いていて日本人の自分はたったの数日でお米に飢えてしまっていました。
どうやらホテル内にあるレストランはラストオーダーが近いらしくロータリーをぐるっと回った反対側にあるカフェ・ド・パリと言うお店ならリゾットが食べれるようで予約のお願いをスーさんコンシェルジュさんと伝言ゲームでさせて頂いてしまいました。
スーさんが話し終えて教えて下さった情報によるとカフェ・ド・パリには併設されているカジノがあるようで、もし行かれるのでしたらジャケットを着た方が良いとの事でした。
お米が食べられるなら何でも良いと思っていましたが折角行くなら入れる格好の方が良いなと思いユニクロで買った冬に重宝している白いダウンジャケットからジャケットに着替えてロビーでスーさんと落ち合いました。
ドアマンさんに開けて頂いたホテルの正面玄関から出ると先ほどの青いオブジェが幻想的な空間を作られている所にズラリと並んだ高級車に呆然としました。
ロールスロイスやベントレーが10台以上はありベンツにBMWもありスポーツカーではフェラーリにランボルギーニやポルシェにマセラッティ等々が宮殿の方に集中して並んでいたのです。
以前に高級車が好きな自分の恩師がスーパーGTと言うレースに関わっていらっしゃった時にその会社で働かせて頂いていた関係でオートサロンやモーターショーのブースの出展の際に色々な車を見せて頂いた事がありましたがそのモーターショーの中でも目玉になるような車が殆どで限定であったり特注であったり先ず日本では車のオーナーズクラブの走行会くらいでしかお目にかかれない光景にビックリしながら携帯で写真を撮っている自分がいました。
ドロップヘッドクーペと言うモデルのロールスロイスファントムのオープンカーや今は新車の販売がない希少なコーニッシュと言う型のロールスロイスのオープンカーにレイスと呼ばれる新しいモデルまでロールスロイスだけでも色々な貴重な種類が並んでいましたし、ベントレーもコンチネンタルと言う販売台数の多いモデルからSUVの型のものやミュルザンヌと言うフラッグシップモデルまで日本で見たら思わず振り返ってしまうレベルの素晴らしいものばかりでした。
ホテルの車が高級車ならまだ分かるのですがモナコはタクシーでもベンツやベントレーまであるのでビックリしてしまいます。
第2章 「来ちゃった!」
これまでに約2年半で
フランス
イタリア
韓国
スペイン
香港
マレーシア
エジプト
と旅行で廻らせて頂いていますが自分の足は20歳の時に負った火傷の怪我から障害者になって元よりは確実に残りの歩ける時間が少なくなってしまっていて残りの人生で後どのくらいで歩けなくなるかが読めないので後悔をしないように生きてる間に歩く事が可能な限り未だ見ぬ世界を見てみたいと行った事の無い海外へ行こうと決めた事が旅行を続けている要因になっています。
そして実際に自分が海外旅行に踏み切れたのは池袋にある自分がお世話になっているナイトキングというBARで海外旅行にとても詳しいスタッフさんに教えて頂いたお話しで
「フランスのパリに行った時に見たサントシャペルのステンドグラスは
これまで生きて来た中で5本の指に入る感動でしたね。
裁判所の敷地の中にあるんですけど。笑」
と言う言葉が旅行に出る行動のきっかけになりました。
裁判所の中にある感動出来るステンドグラス??
胸の中で高鳴る自分のこの好奇心には敵いません。
豊富な海外旅行の経験をお持ちのスタッフさんがあそこまで言われるなんて、、、途轍も無い感動がそこにはあるのだと直感致しました。
これまでそのスタッフさんとはお店でカウンター越しに沢山の良い情報をいつもお教え頂いていて沢木耕太郎さんの書籍、深夜特急が好きである共通点からよく海外旅行のお話しを聞かせて頂きにもお店に伺わせて頂いていました。
旅行の日程をカレンダーを交互に見ながら旅行会社の担当さんに電話で話させて頂き、スケジュールを組んでナイトキングに旅行前のご挨拶に伺わせて頂くとオーナーの荒川社長が優しく迎え入れて下さいました。
そしてナイトキングとCOMBOと言う荒川社長がゼネラルマネージャーをなされていらっしゃる団体のコラボレーションTシャツが偶然、フランス出発の当日に出来上がり届いた事もお教え下さりました。
Tシャツは背中に日本語で
「来ちゃった!」
とプリントされていてこの面を裏表を反対にしてエッフェル塔の前でフランスに来ちゃったと言う写真を撮ってSNSにアップをさせて頂いて来ます。
と目標を加えさせて頂き旅行の楽しみがお陰様で増えました。
2016年12月
フランスではそこら辺で普通に出てくるパンまで凄く美味しいなどの情報をガイドブックを読みながらシャルルドゴール空港までのフライト時間を睡眠、読書、映画などを見させて頂き過ごし空港からタクシーでホテルまで向かって頂きました。
約13時間の直行便のフライトでしたので身体を動かしたくなり、ホテルでシャワーを浴びて来ちゃったTシャツに着替えて早速パリの街並みを見に行こうと支度をしていたらホテルの部屋の真向いのマンションのベランダで外を自分と同じように見ている人が目に入り日本ではあまり見かけなくなったベランダからただ外を見る光景が格好良く見えました。
外に出ると冬のパリは結構な寒さでしたがワクワク感が断然に勝り、取り敢えずの飲み物を買いに近くのスーパーの場所をホテルマンさん教えて頂いてからコンビニの感覚で向かっていると途中に博物館にありそうな綺麗な彫刻が見えて思わず携帯のカメラでシャッターを押していました。
通訳さんのスーさんに何かの建物なのですか?
と訊くと、どうやらキリスト教の教会があるみたいで無宗教の自分ではありますが無性に入ってみたい衝動に駆られ音楽の鳴っているのが聞こえる入口を入るとビタった足が止まってしまいました。
自分が音楽だと思っていたのは教会に集まられていた信者さん達の皆様の賛美歌で美しい装飾の教会内とその歌声に感動してズカズカと入れなかったのです。
もっと見ていたい気持ちを押しとどめて1曲まるまる聴かせて頂いた後に御礼の気持ちで頭を下げて、もう一度寒さの厳しい外に出ましたが心が温かくなっている事に気付きました。
調べてみるとその協会は奇跡のメダイ協会と言う場所で100年以上をかけて建設されたとても有名な協会でした。
感動に浸りながら2~3分で着いたスーパーは正に想像していた外国のスーパーと言った感じで焼鳥1本やコロッケ1個ずつとは違く長方形のケースに並べられたラザニアやヌードルを好きなだけお客さんが取ったり好きな分量を注文する形式で精肉屋さんで○○の部位を何グラム下さいと注文するのに似ていました。
ハムやチーズなども大きなパックがズラリと並び特に面白かったのは鮮魚類でアクリルケースに盛られた氷の上に色々な種類の魚やイカや蛸にロブスターまで、ありとあらゆる魚介類が敷き詰められていて市場のようでこれぞ外国と言った感じにうわーっと思わず笑顔になっている自分がいました。
エッフェル塔に向かう途中に凱旋門がたまたま見えて彼の有名なナポレオンが建設を命じたのに完成する前に亡くなってしまい凱旋門をくぐったのが死後であったと言う歴史を持つ建物に想いを馳せならがシャンゼリゼ通りにライトで凄く幻想的に見える凱旋門の前でも来ちゃったの文字を前に出して撮らせて頂く事にしました。
12月のパリはかなり寒く感じて来ちゃったTシャツの文字を出すために上着のダウンの前を開けて中のシャツのボタンも外してTシャツを出して何回も撮っていると真冬の寒い中で何をやってるんだろう?
と沢山の人が集まり来ちゃったの文字を必死に出していると見ている皆様は笑ってくれさえしました。
有難いことに写真の撮影や荷物を運ぶのを足の悪い自分の代わりに通訳のスーさんがして下さるのでこの点、荷物のスリの心配は減り助かりました。
凱旋門で来ちゃったの記念写真を撮るミッションが終わり次にエッフェル塔までタクシーで向かって頂くと夜のライトアップがされているパリの街並みはとても綺麗でした。
エッフェル塔の近くで降ろして頂くとお祭りの屋台のように1つ1つのブースが独立しているものが数え切れないほど並んでいてスーさんに何か特別なイベントがあるのですか?
と訊かせて頂くとブースの1つに尋ねて下さりそれがクリスマスマーケットなのだと教えてもらいました。
これが、クリスマスマーケットと言うものなのかと感動しながら、そういえばナイトキングのスタッフさんに教えて頂いた1つに
「パリでクリスマスマーケットを見たらホットワインを試してみて下さいね暖まりますから。」
と言うのを思い出し、これは寒い時には助かると思ってブースに沢山の人が並ばれている所で自分もホットワインを一杯お願いさせて頂きました。
一口飲もうとしたら思いっきりむせてしまい周りの人の目に恥ずかしさから顔を赤くしながらもう一度飲もうとしたのですが、やはりむせてしまいます。
どうやらお酒が弱い自分は特に加熱されたワインは苦手のようで一口飲んではむせてを繰り返し1杯飲み終えるのにかなり時間がかかってしまいました。
それでも熱されてアルコール分が飛ばされているのか酔っ払う事はなく体が中から暖まったのが嬉しかったです。
エッフェル塔の真下から見上げてライトアップされている光景は日本の赤い東京タワーを金色にした感じに思えました。
こんな綺麗な物を見られるなんて本当に幸せだな、と思いながらシンミリとエッフェル塔を見上げたまま突っ立っている自分へ真っ直ぐにご年配の女性が向かって来られて
「フィー、フィー!」
と大きな声で繰り返して言われました。
フィーでは無くヒート?暑いと言われているのかと考え、先程のホットワインで暖まりは出来たものの12月のパリはやはり寒いので返答に困っていると一本の薔薇を差し出して下さったのです。
うわー!パリって素敵なことをする人がいるんだな、、と有難う御座います。と言って受け取ろうとすると
いきなりスーさんがその女性に怒り出し何か文句を言っているように見えました。
その言葉に苦虫を噛み潰したような顔をしながら引き返して行かれる女性を見てなんだか申し訳ない気持ちになっていると、今度は自分がスーさんに諭されてしまいました。
「濱安さん、あの女性は観光客に花を無理やり渡してお金を要求する手口の人たちなんですよ。
1人にあげていたらそこら中のホームレスが全員来て動けなくなりますから次からは気をつけてもらいたいです。」
うーん。何とたくましい、、スーさん有難う御座います。
こんなやり取りも有って夕方に到着したパリもすっかり夜になり翌日にはモナコへ向かう飛行機を手配していたため足を休ませないとと考えこの日はホテルに戻らせて頂きました。
寝る前に何かお腹に入れておきたいと部屋のルームサービスの欄を見ているとフランス語もですが英語が読めない自分はお手上げで既に寝てしまわれているであろうスーさんを起こすわけにもいかず、深夜までやっているホテルの中のバーに行きました。
注文を取りに来た定員さんを見てお水が出てこない事を知り定員さんに首を振りながら
「ごめんなさい。アルコールじゃなくてウォーターを下さい。
と思いっきり日本語での注文でしたが何とか汲み取って下さりホッとしたのも束の間でメニューを見ても読めないので周りを見渡し近くのご年配の外人さん夫妻のテーブルにあったスープとハンバーガーを見て
「あのスープとハンバーガーをもらえますでしょうか??」
とこれ又、日本語でお願いさせて頂くと
「大丈夫、話せないのは解ったよ。
あのスープとハンバーガーだね?」
みたいな返答を指をさして笑顔でして下さったので助かりました。
15分くらい待たせて頂いてテーブルに来たスープはギャグみたいな大きさで1リットルくらい入っていました。汗
近くのご夫婦はシェアされていたのだと解り減っていたお腹にアツアツのスープを頬張りました。
うん。美味しいし暖まると全部飲み干してチーズが入ったハンバーガーとフライドポテトも全て食べきると
「もう全部食べたのかい??」
みたいな事を自分の前に並んでいた料理が無くなったテーブルをビックリした表情で定員さんが言われていたので、いっぱい食べるんです。
と応えたかったのですが外国語が話せない自分は
とここはフランスだよ、、なんでイエスって言ってるんだろうと自分自身にツッコミそうになりながらお会計を済ませると先ほどの定員さんが何かを言いたそうにしていました。
おそらく沢山、食べるんですね?とか日本から来たのですか?など興味を持って下さって話したいのだろうけど何しろ1人で意思の疎通が出来ない自分には答えようがなくて、そのまま有難うと言ってお店を出るしか有りませんでした。
その部屋への途中に当時、日本で大ヒットしていた
「君の名は」の映画のポスターが
「ユア ネイム」と書かれていて海外でも人気なのだと日本のアニメって本当に素晴らしいと思うと同時にそうか、ここは日本では無くフランスなのだった、さっきのお店の定員さんはチップの事を言いたかったのでは無いかと思うと合点が行き部屋で眠りにつくときに今日の花を受け取ろうとした事やチップを忘れてしまった失敗を次からは忘れずにチャンスに生かそうと携帯にメモをして目を瞑りました。
第1章 「イカ墨」
2018年12月
日本から1万km以上離れたスペインのバルセロナで真っ黒な料理を前にお店のマスターさんと自分は、にらめっこをしています。
いや正確には、にらめっこでは無くスペイン語どころか英語もろくに話せない自分のせいでお互いに意思の疎通がしたくて通訳をして下さっているスーさんの言葉を待っている間、もどかしい表情をして顔を合わせています。
海外旅行をしている中でこんなにも美味しいものが異国の地にあるのかと驚いてタイトルにしようと決めたパエリアに向かい
「ただいまー。」
と笑顔で話しかけた自分によほどの興味を新たしく交代になられたマスターさんが持たれ気になり話しかけて下さっていたのです。
8ヶ月前に初めてこのお店に来て美味しくて感動をした事をお伝えさせて頂くと厨房まで自分の渡させて頂いた携帯を持って行き調理の焼き上がりのパエリアを撮って来て下さる有難い対応をして下さいました。
お皿に盛られた真っ黒のパエリアによだれを垂らしそうになりながら、そのままパクッと口に放り込みたい欲望を我慢して大きめのスプーンでガシャガシャとかき混ぜ8ヶ月ぶりのバルセロナでイカ墨のパエリアを夢中になって食べさせて頂いています。
口の中に初めて食べ入れた時には
「いやいや冗談でしょ?」
こんな美味しいものを海外で食べた事がないと感じて、このイカ墨のパエリアを食べるためだけにスペインに来る人もいるのではないか?
と思ったほどの神味(かみあじ)でした。
お店のスタッフさんも毎日来ているのに同じこのイカ墨のパエリアを頼むから笑うしかないみたいです。
こちらのお店を前回のスペイン旅行の時に偶然知った自分は地元のスペイン人の人でもそんなに頻繁に食べないよ。
と言われるくらいに毎日、イカ墨のパエリアがあるお店とサグラダファミリアを回っていてその内で見つけた美味しいお店の中の1つなのです。
最初にこのお店に来た時に
「あれれ?」
スペインの特にバルセロナに着いてから殆ど毎日、注文させて頂いているパエリアと何かが違う、、、何だろう??
ジューシー感が足りないのかな、そういえばスペインのパエリアを数日前に初めて食べた時のあの感動はお米がオリーブオイルの湯船に浸かっているかのような見た目も味も超ジューシーに感じたけど流石に毎日、食べていたから麻痺してしまったのかなー、と一口食べて難しそうな表情をして通訳さんのスーさんからお店のマスターさんに
「すみません。オリーブオイルをもらえますか?」
とのお願いをさせて頂きました。
当時のマスターさんはもの凄く驚きと嬉しさの混ざったようか顔をしてからすぐに持って来るのジェスチャーをして下さいました。
ニコニコしながらオリーブオイルをテーブルに置いて下さったので御礼を伝えてパエリアにかけようとすると止められてしまったのでマスターさんを見上げると必死にこちらに何かを教えようとしてくれていらっしゃいました。
スーさんのして下さる解説を今か今かと待ちながらマスターさんのジェスチャーを見ていると
「オリーブオイルじゃなくて、こっちのソースを付けるとこのパエリアは美味しいんですよ!!」
言葉は分からなくともオリーブオイルを持って来て下さった手とは反対の手に持たれている白いソースをスプーンですくう身振りと手振りで理解が出来ました。
そしてスーさんに合っているか確認してからその白いマヨネーズみたいな見た目のアイオリソースと呼ぶものを真っ黒なイカ墨のパエリアに混ぜるとオリーブオイルとは違ったジューシー感が足されてこれは、めちゃくちゃ美味しいと頷きながら笑顔でマスターさんに美味しいです。
と率直に伝えるとマスターさんも笑顔で頷いて下さりその後に真剣な顔で事情を話して下さいました。
「今まで日本の人に油っぽいと言われてもオリーブオイルが足りないと言われた事は無かったんですよ。」
苦笑いをしながら少し悲しげな表情で話されるマスターさんのお話に、このジューシー感がスペインのパエリアの大きな良さなのにと思い驚きとともに喜んで下さったマスターさんに
「明後日は日本に帰るので明日も来ます。」
と約束させて頂きテイクアウトのイカ墨のパエリアをホテルでも食べたいからとお願いをさせて頂いてご機嫌なマスターさんと写真までご一緒に撮らせて頂きお店を後にしました。
ホテルまでの帰り道を歩きながら、これまでバルセロナで行かせて頂いたお店にはあのアイオリソースがあるのに使わないで食べてしまったお店があった事を思い出し
「明日、もう一度あのソースを付けて食べ直してみないと」
とお店の場所と名前を撮らせて頂いた写真が入っている携帯のカメラロールをスワイプして探しました。
ソースを付けないで食べてしまったお店がサグラダファミリアの近くだとカメラロールから見つけ出し先ほどのマスターさんの嬉しそうな顔を思い出して胸が痛くなりました。
こちらのお店は大通りに面しているお店なので観光客のお客さんは沢山、来ているであろうに油っぽいと何回も言われてアジア系のお客さんにはマスターさんが控えめになってしまって行ったのかも知れないです。
油っぽいと言うアジア人がお店に来て珍しい真っ黒なパエリアを注文し記念に写真を撮っては残して帰って行かれる。
こんないつも通りの光景の中で一口食べてスプーンをとめてオリーブオイルを注文されたら驚く気持ちも分かりますし、こっちの方が美味しく食べられると教えてあげたい気持ちになって下さったのかも、、と優しい顔をしたマスターさんの笑顔がまた浮かびました。
「スペインは治安が良くないから気をつけて下さいね。」
「知り合いがスペインでスリにあった事があり心配です。」
とのお知り合いの方々のアドバイスもバルセロナに来て1週間経過してからは、フランスやイタリアよりもさらに日本人に優しい親日の人が少し多い感覚でした。
治安は夜は危ないとガイドブックに書いてあったにも関わらずスケジュールの都合と歩き過ぎて腫れてしまった自分の足が翌日に歩き回れないであろうと思った関係で真夜中にはカジノ・バルセロナまで行かせて頂きましたがセキュリティーが万全な分むしろ安心でいられました。
バルセロナの夜は22時頃には飲食店以外は殆ど閉まっている印象なのでコンビニ代わりの24時間営業のスーパーマーケットくらいしか行く所が無いので出歩く場所を知らなさすぎる自分にはちょうど良かったのかもと考えます。
「バルセロナに行ったらイカ墨のパエリアを食べてみて。今まで行った国の中で一番美味しかったのはバルサだからさ。」
と初のスペイン旅行の際に教えて下さった福島県の北熱エンジニアリングの馬場社長に感謝をしながらこれまでの海外旅行を振り返っていました。
はじめに
「パエリア~世界一周できるその日まで~」
もし、1度だけ人生のリセットボタンが押せるのなら
夢のような日々を送るのだ!
と火傷を負って植物人間状態から目覚めた自分は指1本動かせない地獄の痛みの中で心にそう決めました。
~はじめに~
明日や明後日に確実に死ぬと分かっていたら何も行動をしない無駄な時間を過ごしますでしょうか?
いえ、きっと後悔しない為に1分1秒をそれこそ必死になって動き回ると思われます。
自分の場合には実際に今夜亡くなりますと医師に言われて現実の死が目の前に来た過去があり、たまたま時間の大切さ生きていられる事の有難さを痛感する機会がありました。
その時は植物人間状態を体験してベッドの上で自分は何も出来なかった人生のままで生涯を終えてしまうのだと心底、絶望し後悔の気持ちを味わいました。
そこから600人分の輸血を受けて奇跡的に助かり文字通り人様に助けて頂いたお陰で今を生きさせて頂けるようになれました。
毎日を誰かに決められた人生の1日を送るのではなく、自分自身で選択した行動の日を送り続ける様に生きさせて頂いております。
当然の事ながら生き延びさせて下さったこの世の全ての人に感謝の気持ちを持ってで御座います。
生きていられるうちに世界一周旅行記を書くという絶対に叶えたい夢が決まってしまったのでそれに向けて行動をして生き続けさせて頂いております。
どんな批難をも夢のためなら受ける覚悟を持ち障害者になっても諦めなければ出来る事は沢山あるのだと行動をして証明し誰かの勇気に少しでもなれればと思いジャンプが出来ない走れない左手の人差し指と小指が曲がらない等と色々なマイナスがあっても挑戦する事の大切さを知ってしまった自分は足から血が出ようと骨折しようと諦める事を辞めないで行動をさせて頂いています。
こんな身体でも頑張っているやつがいるなら、もうちょっとだけ頑張ってみるかな。
と少しでも思ってもらえたらこれより幸せな事は無いです。
どうか1度しか無い人生の時間を無駄にせず共にこの人生を皆様と生きさせて下さい。
医師から大怪我を負う前の元々の身体と比べたら解ると思うけど歩ける時間は短くなっているとのカウントダウンを告げられた時から歩ける限り自分の足で歩いて行こうと思い歩けなくなったとしても車椅子に乗ってでも世界一周旅行記を書く夢を実現させようと思っています。
自分は600人分の輸血という誰に助けて頂いたか判らない恩を皆様から先に受けていますので御礼には、ほど遠いですが海外旅行で撮らせて頂いた写真をSNSなどに上げさせて頂き沢山の皆様に見てもらい、もしその中の誰か1人にでも綺麗な画像を楽しんで頂けたらもの凄く幸せです。
この本を読んで下さっているあなたに沢山の良い事がありますように心から願っています!!
それと自分がヤケドにより医師からもう助からないと言われた事があるように人生は寿命をまっとうできるか、または突発的な事故などでいつ死んでしまうかは誰にも解りません。
ですので折角、生き延びさせて頂けた今の命を何かの事故などで終わりになってしまったら言えなくなってしまうので最期の言葉をここに書かせて下さい。
自分は皆様とこの人生を生きられた事を誇りに思いながらずっとずっと幸せでした有難う御座います!!